巡洋艦 最上 旧日本海軍
 最上型二等巡洋艦1番艦
(類別上は二等巡洋艦)
掲載:2016年02月24日
修正:2019年12月22日
 軽巡 最上(もがみ)1938 (性能改善工事後) <タミヤ製>
↑ 左舷前方からの写真
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑ 右舷後方からの写真
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 359
    日本軽巡洋艦「最上」
    1/700  タミヤ 2015年発売
 

<実艦について>
1930年にロンドンで開催された補助艦艇の制限を主な目的としたロンドン海軍軍縮条約によって、主要各国の巡洋艦保有量は新たな制限が設けられました。日本は対米比率が重巡洋艦で6割、軽巡洋艦で 7割に抑えられましたが、6インチ砲搭載の軽巡保有枠には比較的余裕があり、また、退役予定の旧式巡洋艦と1936年には艦齢が古くなる天龍型軽巡、球磨型軽巡の一部の代艦建造枠を合わせると軽巡建造枠は50,955tまでの建造が可能でした。

そこで、旧日本海軍は6インチ砲搭載の8,500t級軽巡を6隻まで建造することが可能と考え、最上型軽巡4隻と利根型軽巡 2隻を計画しました。最上型は計画どおり軽巡として竣工しましたが、利根型は建造中に日本の軍縮条約脱退が決まり、重巡として竣工しています。

最上型軽巡は第一次艦艇補充計画39隻の中の8,500t級軽巡として承認され、「最上」は一番艦として1931年10月に呉海軍工廠で起工され、1935年7月28日に竣工しています。旧日本海軍は艦隊決戦時に主力艦の補助をする重巡洋艦の保有量を対米比率で6割に抑えられたために、最上型を軽巡枠で重巡並みの性能を有する艦として建造し艦隊決戦力を増すことを企画、8,500tの艦体に15.5糎三連装5基、61糎魚雷三連装4基、12.7糎連装高角砲4基、対空機銃として25o連装4基、艦橋防御用機銃として13o連装2基を装備し、20糎砲弾に耐える艦体と37ノットの速力、航続距離14ノットで8,000 海里という強武装軽巡を建造しました。

このため、最上型軽巡は設計上かなりの無理を生じて艦体を軽量にするための努力を推し進め、当時技術的に完成域まで達していなかった電気溶接を多用して艦体強度不足を招き、また、重武装を装備したために艦の重心点が上昇して復元力不足の問題を抱えている状態でした。

このような中、本艦の進水直前の1934年3月に新鋭水雷艇「友鶴」が荒波で転覆する事件「友鶴事件」が発生し、海軍艦艇の多くが復元力不足を問題視されました。本艦もこの対象となって再検討され艦橋の小型化や艦体補強を実施した結果、排水量が計画より 2,000t近く上回り11,200tとなってしまいました。その後1935年3月の公式運転にて艦体一部に亀裂や歪みが確認され強度不足が発覚、すぐさま補強工事を実施して同年7月に竣工しました。しかし、その後に大演習で巨大台風に遭遇し、演習参加艦艇は大小の被害(第四艦隊事件)を受けてしまいました。本艦は航行中に激しい振動と異音が発生、舷側外板に大きなシワを生じ、艦体の強度不足が解消されていないことを露呈しました。

このため、1936年4月から1938年2月まで大規模な工事を行い、艦体補強や大型バルジの装着、後部マスト短縮などの性能改善工事を実施し、安定した性能の艦となりました。こうして、重巡並みの性能を持つ強力な武装の軽巡“最上型”が誕生しました。

(参考:キット説明書)

<キットについて>
1/700「最上」のプラキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)のタミヤより2002年7月に旧キットからリニューアル発売されていますが、キットはミッドウェー海戦で損傷した後、偵察巡洋艦(航空巡洋艦)に改装された姿です。今回発売されたキットは、同型艦「三隈」のキットをバリエーション展開した内容で、「三隈」が重巡仕様だったため、これに「熊野」の軽巡時のパーツを合わせ、個艦「最上」としての追加部品を開発した内容となっています。

「最上」は1935年に15.5p三連装砲塔5基搭載の強武装軽巡として竣工し、大戦前に主砲を20.3p連装砲塔に換装して重巡になりました。大戦中には損傷修理期間を利用して偵察重巡に改装され、後部甲板は主砲塔 2基を撤去して偵察機用の航空作業甲板となっています。このように、最上の艦容は目まぐるしく変化するのが特徴で、これが最大の魅力です。今回、新たなキットの発売により「最上」は竣工から沈没まですべての艦容を比較的容易に再現できるようになりました。

<作例について>
基本的には素組みですが、25o連装機銃をピットロードの艦船装備品に変更しています。
主な変更箇所は以下のとおりです。
  • 実艦のボートダビットは、キットの取り付け指示と異なり、舷側に付いています。したがって、取り付け用の穴をパテ埋めし、舷側に接着しました。
  • 後部艦橋の窓枠が省略されているので、プラ棒で再現しました。
  • 25o連装機銃は、個人的な好みでピットロード社の艦船装備品に交換しています。
  • 後部マスト基部両舷に搭載している内火ランチは、内火艇を上に積み上げる状態を表しているために、パーツに再現されている幌を除去しています。
艦体色は、我が造船所において重巡規定色である GSIクレオスのMr.カラー軍艦色2とし 、リノリウム色などその他の塗装色もすべてGSIクレオスのMr.カラーを使いました。

<建造について>
建造工程については、下記のアイコンよりお入りください。 ↓
 

      
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