巡洋艦 最上 旧日本海軍
 最上型二等巡洋艦1番艦
(類別上は二等巡洋艦)
掲載:2008年07月18日
修正:2019年12月22日
  重巡 最上(もがみ)1943 (航空巡洋艦改装後) <タミヤ製>
↑ 左舷前方からの写真
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑ 右舷後方からの写真
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 341
    日本航空巡洋艦「最上」
    1/700 タミヤ 2002年発売
 

<実艦について>
本艦は、1931年の第一次補充計画により呉工廠で起工され1935年7月28日に竣工しています。元々、ロンドン海軍軍縮条約による米英に対する不平等条約で重巡の建造を制限されていた日本海軍が、条約で許されていた軽巡建造枠を利用して重巡と同等の巡洋艦を企画したのが最上型巡洋艦です。このため、本艦は軽巡として竣工していますが、重巡並の性能を求められていたために設計上かなりの無理があり、公式運転にて不具合が発覚、すぐさま改善策を取らざるおえない状況でした。

1939年には、かねてからの計画であった軽巡から重巡への変身を遂げます。いわゆる、主砲を15.5pから20.3p砲に換装したのです。この頃には船体強度は改善策によって安定していたようです。

1941年の開戦後、マレー上陸作戦を支援。1942年にはジャワ島攻略作戦支援、また、バタビヤ沖海戦に参加し僚艦「三隈」とともに米重巡「ヒューストン」、豪軽巡「バース」を撃沈しています。ミッドウェー海戦では攻略部隊支援隊として参戦しますが、僚艦「三隈」と衝突して艦首を損傷、退避中に米艦載機の攻撃を受け大破し、何とかトラックへ帰港しました。この損傷修理により航空重巡に改装されます。1944年にはマリアナ沖海戦に参加、続くレイテ沖海戦では別働隊の西村艦隊に属してレイテ湾を目指します。この海戦にてスリガオ海峡で待ち伏せていた米艦隊の攻撃を受け大破炎上します。艦隊旗艦の戦艦「山城」以下ほとんどの艦艇が撃沈され、必死で退避中に後続の志摩艦隊旗艦重巡「那智」と衝突してしまいます。その後、米軍機の攻撃により身動きがとれなくなり、護衛駆逐艦「曙」の雷撃で自沈処分されました。

<キットについて>
1/700「最上」のプラキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)のタミヤより発売されています。先代のキットは、発売当時に不明であった後部甲板の形状や艦橋前部の機銃台形状など、現在の目で見ると大きく異なる部分が目立つキットでしたが、モールドはそこそこであり、素組み派の私には安心して建造できる良いキットでした。このキットが2002年7月にリニューアルされ、シリーズ341として発売されています。リニューアルキットでは、先代キットの弱点であった後部飛行甲板形状が実艦に基づいて修正され、全体のモールドも繊細で上品なタミヤ風表現であり、舷側のモールドや形状もすばらしく、私的には大変満足しています。

「最上」は1935年に15.5p3連装砲塔5基搭載の強武装軽巡として竣工し、大戦前に主砲を20.3p連装砲塔に換装して重巡になりました。大戦中には損傷修理期間を利用して偵察重巡に改装され、後部甲板は主砲塔2基を撤去して偵察機用の航空作業甲板となっています。このように、最上の艦容は目まぐるしく変化するのが特徴で、これが最大の魅力であります。キットはこの偵察重巡のスタイルを再現しています。キットでは、最上甲板が鉄張り表現となっています。個人的には、最上甲板はリノリウム張りなのでは?と思いますが、今回はそのまま建造しています。

<作例について>
基本的には素組みですが、艦載機はWLのリニューアルパーツから調達し、数を増やしています。
主な変更箇所は以下のとおりです。
  • 前楼は真鍮線で追加工作しました。
  • 実艦のボートダビットは、キットの取り付け指示と異なり、舷側に付いています。したがって、取り付け用の穴をパテ埋めし、舷側に接着しました。
  • キットでは省略されている航空機作業甲板最後部の大型アンテナと両サイドの支柱を、真鍮線と伸ばしランナーで再現しました。
  • 機銃類はピットロード社の武装パーツセットものを使用しています。
船体色は、我が造船所重巡規定色のGSIクレオス軍艦色2 、リノリウム色はPT艦船カラーを使いました。

      
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