巡洋艦 香取 旧日本海軍
 香取型二等巡洋艦1番艦
掲載:2011年10月23日
修正:2020年03月26日
 練習巡洋艦 香取(かとり)1941 <アオシマ製新キット>
↑ 左舷前方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑ 右舷後方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 354
    日本軽巡洋艦 「香取」
    1/700 アオシマ 2011年発売

<実艦について>
旧日本海軍では英国に習い、明治初年より士官候補生の遠洋航海を実施していました。これらに用いられる艦船は第一線を退いた巡洋艦などが主で、大正に入り日露戦争時に活躍した準主力艦であった、装甲巡洋艦の各艦が二隻ずつ当てられていました。昭和に至り、これらの装甲巡洋艦に老朽化が目立ち始め、また、他用途への使用もあって練習艦として使用できる艦は「磐手」と「八雲」のみとなってしまいました。このため、昭和13年度計画において二隻の練習巡洋艦建造が認められました。これが後の「香取」と「鹿島」です。

1番艦「香取」は1938年8月24日に三菱横浜船渠で起工され、1939年6月17日に進水、1940年4月20日に竣工しました。本型の設計にあたっては、予算の制約により商船並みの船体構造とされ、排水量の軽減も建造費の増大を抑えた簡素な構造範囲で行われました。設計にあたっては、士官候補生を多数収容する目的から艦内容積を大きく取ることに苦労したようです。また、詳細設計はすべて建造会社(三菱)側に一任されており、艦本(海軍)側が設計に関わっていないことも特徴的なことでした。

1940年に「香取」と「鹿島」が最初で最後の遠洋航海を実施します。当時、米英との国際情勢が悪かった日本は、米国や欧州への遠洋航海は望めず、旅順、大連、上海の各地を訪問するに留まりました。

「香取」は開戦時に第6艦隊(潜水艦部隊)旗艦任務に就きます。以降、南洋方面で活躍しますが1944年2月15日に海上護衛総司令部に編入され、船団護衛任務を任されることになります。2月17日、対潜掃蕩部隊旗艦に改造するため本土へ向けて駆逐艦「野分」および「舞風」と「赤城丸」とともにトラックを出港。その後、空襲を受けて大火災となり、さらに米重巡2隻と米駆逐艦2隻の砲撃を受けて沈没しました。

<キットについて>
「香取」の1/700プラキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)のアオシマから発売されています。先代キットはは、1973年に1番艦「香取」がシリーズ75、2番艦「鹿島」が79として発売されました。その後、フジミのWL脱退によりシリーズb改訂し、「香取」が328 、「鹿島」が329 に変更された後、長らく未発売であった3番艦「香椎」が1993年に330 として発売されました。

先代キットは一般的評価があまり良くないキットでしたが、その原因は成形やモールドの“ダルさ”と艦橋構造物形状が実艦と大きく異なるためと個人的には考えています。


シリーズの自社製品を積極的にリニューアルしているアオシマは、2011年なってから香取型のリニューアルを行いました。先ず発売されたのはシリーズ354の1番艦「香取」で、開戦後から最終時までを表しています。キットは艦首菊花紋章や錨、双眼鏡など、細かなパーツまで新規開発されています。錨やご紋章の新規開発は、もともと軽巡クラスではキット付属のリニューアルパーツの大きさが合わないためと考えます。双眼鏡のパーツ化には個人的に疑問がありますが、新キットとしての持ち味を出したかったのかもしれません。

<作例について>
全くの素組みです。追加工作はしませんでしたが、塗装指示に疑問な場所があり、個人的な解釈で塗装しています。

追加工作内容は、以下のとおりです。
  • 実艦写真に従い、後部マスト中段に白帯を記入しました。
  • 艦載機の搭載指示がキット説明書ではありませんが、実艦では94式水偵を搭載していたようなので、キット付属のリニューアル艦船装備セットから調達しました。塗装は日中戦争当時の緑色と茶色迷彩としましたが、大戦中期以降は違う塗装色の可能性が高いと思われます。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。そのほか、リノリウム色などすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程ついては、下記のアイコンからお入りください。 ↓

     
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