巡洋艦 北上 旧日本海軍
 球磨型二等巡洋艦3番艦
掲載:2015年07月29日
修正:2019年12月25日
 回天搭載母艦 北上(きたかみ)1945−回天搭載母艦改装後− <フジミ製>
↑左舷前方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑右舷後方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • シーウェイ特シリーズ 85
    日本海軍軽巡洋艦 「北上 昭和20年(1945年)」
    1/700 フジミ 2015年発売
 

<実艦について>
「北上」は球磨型軽巡洋艦3番艦であり、1921年4月15日佐世保海軍工廠で竣工。1941年8月25日に重雷装艦へ改装工事を実施し、同年9月30日に完成。同型艦「大井」も同様の工事を受け、両艦で第一艦隊第9戦隊を形成。

佐世保工廠にて、1944年8月14日から回天搭載母艦への改装を受けます。工事は1945年1月20日に完成し、回天の輸送、回天の襲撃訓練目標艦が主任務とされました。また、本土決戦時には水上部隊による襲撃を目的とし、海上挺進部隊に編入されました。

1945年7月24日、アメリカ海軍第38任務部隊の空母6隻から発進した艦載機200機により第2回呉港空襲を受け、呉港に停泊していた「北上」も攻撃を受けます。このため、大破航行不能となり終戦を迎えました。戦後、復員輸送支援の定係工作艦として使用され、1946年10月から三菱長崎造船所にて解体、艦命を終えました。

(参考:フリー百科事典 ウィキペディア)

<キットについて>
「北上」の 1/700プラキットは、フジミから発売されている本キットとピットロードから重雷装艦仕様の「北上」が発売されています。「北上」は球磨型軽巡の3番艦になりますが、球磨型軽巡を発売しているウォーターラインシリーズのタミヤでは3番艦の「北上」と4番艦の「大井」のキットを発売していません。

軽巡「北上」は上記のように大まかに三つのタイプに分かれます。このうち大戦中の姿としては、重雷装艦仕様と回天搭載母艦仕様になりますのでキットが発売されていますが、原型の軽巡仕様は、同型艦の「球磨」や「多摩」のキットを改造して楽しむことになります。重雷装艦仕様の「北上」も長いことプラキット化されなかったのですが、ピットロードの頑張りによって1999年に同型艦「大井」ともどもキット化されました。魚雷発射管の形状が防波板の無い竣工時仕様のため、ミッドウェー海戦頃の姿を再現するには発射管にシールドを再現しなければならないでしょう。

今回フジミの発売した“回天搭載母艦”仕様の「北上」は同型艦が存在せず、海戦にも参加しなかったので、プラキットとして発売される可能性が極めて低いものと考えられてきました。したがって、このキットの発売は個人的には大変驚き、また非常に嬉しいことでした。…昨今の艦船模型ブームのお影かもしれません。

キットはフジミ特シリーズの通例で、細かなパーツ割による実艦に忠実な再現を求めており、素組みでも映えるキットが出来上がりますが、製作は難易度が高いでしょう。搭載の「回天」の形状は実際に搭載された一型のものではなく、計画のみに終わった四型のものと言われており、形状が異なっているようです。船体中央部両舷の単装機銃の装備数にはいささか疑問が残りますが、明確な資料不足のために否定も出来ません。

<作例について>
「北上」の終戦頃の姿なので、艦隊編成も出来ず特異的な艦容を楽しむのが健康的です。ほぼ素組みですが、多少の工作変更を行っています。

工作の変更内容は、以下のとおりです。
  • 艦中央部の機銃は、キットでは左右舷とも6基の取り付けを指定していますが、ここは実艦の写真から推定して左舷4基、右舷は5基としています。1944年頃では左右舷とも4基だったようで、その後に両舷2基ずつ増備されたかどうかが不明です。左舷は機銃列後尾に内火ランチ、右舷は通船を取り付けましたが、架空状態です。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。そのほか、艦底色およびリノリウム色などはGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程ついては、下記のアイコンからお入りください。 ↓

     
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