<実艦について>
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- 1921年12月に浦賀船渠で起工しましたが、建造中に関東大震災を受け、1925年5月にようやく竣工しました。
- 1927年より中支方面や南支方面などで活躍しています。
- 1930年の大演習中、僚艦「北上」と衝突事故を起こしてしまい、艦首を損傷してしまいました。復旧工事では、艦首をスプーンバウから凌波性の向上を狙ってダブルカーブドバウに変更しています。この艦首形状は、旧日本海軍艦艇独特の形状で、重巡や駆逐艦の特型以降ではお馴染みのものです。この艦首形状は長良型6隻中本艦のみの形状となり、良い識別点となりました。
- 1932年にはカタパルト設置、その後、開戦までに61p酸素魚雷を搭載できる改装を行っています。
- 開戦時にはハワイ海戦に参加し、南雲機動部隊の護衛で活躍します。
- 1942年にはラバウル攻略作戦、アリューシャン攻略作戦などに従事します。
- 1943年にはキスカ撤収作戦に参加します。
- 1944年10月にはレイテ沖海戦に参加、戦艦「山城」を旗艦とする西村艦隊に所属してスリガオ海峡に突入し、敵魚雷艇の攻撃により損傷して反転し、ダピタンにて応急修理を行います。その後、コロンへ向かう途中に大型機の爆撃を受け、ミンダナオ海で沈没しました。
<キットについて>
- 「阿武隈」は艦首形状が他の長良型と違うため、長い間キット化されていませんでした。しかし、2007年の11月にようやく発売されました。作例はまだキットが発売される前に建造したため、タミヤの「名取」を使い、改造しています。「名取」は航空作業甲板の張り出しが「阿武隈」と同じ左舷なので、この部分は共通して使用できます。その他の長良型は右舷に張り出しがあります。
艦橋部分は、ほぼスクラッチ状態です。艦船模型スペシャル3の水野画伯の表紙をモチーフに雰囲気重視で製作しました。「阿武隈」の改装後の形状は、長良型の後に建造された川内型に近い形状です。長良型から川内型への移行を思わせる中途半端な艦容なので、中々面白いと個人的に思っています。改造の主なポイントは前途した艦橋部分の改装と前部魚雷発射管のあるウェルデッキをふさぐ作業、後部甲板の機雷運搬軌道の撤去と整形です。私的には上部構造物を残して艦尾形状を整形するのがもっとも大変でした。作例ではあまり華麗に製作できていません。(T_T)
- 製作は、僚艦のタミヤ製長良型の雰囲気を保つことに重点を置きました。
<作例について>
- 「名取」のキットを使用して改造工作をしています。改造、追加工作は以下のとおりです。
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- 航空機作業甲板張り出し下部の支柱をプラ棒で再現しました。
- 艦橋構造部は下部のみ名取のキットを使用し、コレを芯としてプラ板にてスクラッチしています。
- 前楼もキットのパーツを利用してそれらしく追加工作しています。
- 艦首の波除板をプラ板で追加工作しました。
- 名取の艦尾甲板部分には機雷運搬軌道が再現されています。これを撤去してリノリウム張りに変更しました。…少し整形に失敗しています。(^^)
- ウェルデッキ上の軌条は、キット設定時の「名取」独特のもので、1941年の「阿武隈」には無いものです。作例ではリサーチ不足により、そのまま残しています。
- 船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT社の艦船カラーのリノリウム色で塗装、その他はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。
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