巡洋艦 那珂 旧日本海軍
 川内型二等巡洋艦3番艦
掲載:2012年03月31日
修正:2015年07月26日
 軽巡 那珂(なか)1943 (対空兵装強化後) <アオシマ製>
 左舷前方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
 右舷後方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 352
    日本軽巡洋艦 「那珂」
    1/700 アオシマ 2008年発売
 

<実艦について>
川内型軽巡は球磨型、長良型の流れをくむ、いわゆる“5,500t型軽巡”の最終型となった艦であり、旧日本海軍の八八艦隊計画の補助艦艇となっています。この八八艦隊計画で完成する艦艇は重油使用量を著しく増大させることが予想されたため、海外にこれらの資源を依存していた日本としては重油使用量の削減を企画、その結果、それまでの球磨型および長良型が3本煙突だったのと異なり、川内型軽巡は重油と石炭の混焼缶を採用して4本煙突となりました。この4本煙突を搭載した事が他の5,500t軽巡と異なる本タイプの一番の特徴となっています。
3番艦「那珂」は、もともと2番艦として横浜船渠で1922年6月10日に起工されましたが、建造中に関東大震災を被災し、船体を破損して工事は中止となり解体後に新たな船体を建造しています。このため、起工が本来3番艦となるはずの「神通」より遅れたため、「那珂」が3番艦となりました。竣工時の「那珂」の一番の特徴は、同型艦「川内」や「神通」と異なりダブルカーブドバウという同型艦のスプーンバウよりも波切りが良い形状を持つことでした。
なお、同型艦「神通」も訓練中に発生した衝突事故(美保ヶ関事件)により艦首を損傷した際に、従来のスプーンバウからダブルカーブドバウに艦首形状を変更しています。
  • 1925年11月30日に横浜船渠にて竣工。
  • 1925年12月5日、第1艦隊第3戦隊に編入されます。
  • 1926年12月1日、第2艦隊第5戦隊に編入されます。
  • 1927年8月24日、美保ヶ関沖にて演習中、駆逐艦「葦」と衝突して艦首を損傷します。
  • その後、第2艦隊第2水雷戦隊や第1艦隊第1水雷戦隊へ編入され、また幾度かの改装工事を実施、旅順や青島、支那方面で活躍します。
  • 1939年11月25日、第2艦隊第4水雷戦隊に編入され、南支方面で行動します。
  • 1941年12月7日、ルソン島北西岸バガン泊地に停泊中爆撃を受け至近弾で損傷します。
  • 1942年1月7日、タラカン攻略作戦に参加。2月27日、スラバヤ沖海戦に参加。
  • 1942年3月26日、クリスマス島攻略作戦を支援し、31日にはクリスマス島北方海面で浮上する潜水艦を攻撃します。同年 4月1日、クリスマス島周辺海域を哨戒中に敵潜水艦の雷撃を受け損傷。軽巡「名取」に曳航されてバンダム泊地へ向かい、シンガポールを経由して横須賀に帰港します。約1年間、整備を兼ねて損傷修理を実施。
  • 1943年4月1日、第 4艦隊第14戦隊に編入され、トラック、ラバウル、クエゼリン等で輸送任務に従事します。
  • 1944年2月17日、トラック島が敵により空襲を受けている中、軽巡「阿賀野」救援のため出航しますが、トラック島北水道において米空母艦載機の攻撃を受けて沈没してしまいました。
<キットについて>
「那珂」の 1/700プラキットは、フジミから発売されているシーウェイモデル(SWM )キットがあります。このキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)にフジミが参画していた頃に発売した同型艦「神通」キットのバリエーション化したもので、フジミがWL脱退後に発売されました。キット内容は実艦との相違が多く、一般的な評価も低いようで、大戦中の設定ですが大戦前の雷装強化以前の姿をしているのが最大のネックです。
一方、フジミの脱退により3社体制で再編されたWLは、フジミの担当開発した艦を順次再開発していますが、メジャーな艦から優先して開発したため、未だに未開発艦が存在しています。川内型軽巡も長い間開発されない艦の一つでしたが、シリーズから欠落して16年後に3艦揃って発売されました。キットでは同型艦でも微妙な違いを極力再現するために船体の艦首形状が違う「川内」と「神通」及び「那珂」を別パーツとして開発、艦橋部分も異なる部分が多いため多数のパーツが別部品として開発されています。
アオシマのキットは1943年の損傷復旧後の姿をうたっていますが、キット内容を確認する限りでは損傷復旧前の大戦前期仕様(ただし、機銃配置は最終時仕様)となっています。この辺りのリサーチ不足がやや残念です。キットモールドはフジミの特シリーズが好評となった現在の一般的な水準ではややあっさり気味と感じますが、WLの支上がりでは上位に入り、個人的にも十分な出来だと思います。派生キットとして1933年頃のキットも発売されました。
WLの自社製品を積極的にリニューアルしているアオシマは、シリーズ未発売の艦艇に関しても積極的に開発を行なっており、個人的にはWLに対する熱意を大いに評価しています。シリーズでは軽巡「大淀」も登場したことで、あとは小型空母の「龍驤」や「鳳翔」あたりを発売してくれれば、満足なんですがね…。 ^^;
<作例について>
今回は1943年頃の姿を再現するための工作を行なっています。
艦橋天蓋は個人的な考えを反映させ、後端部を大きく取り除いています。実艦は資料不足も手伝って詳細不明な部分が多く、あまり細かな所までこだわらない方が良いと考えます。
追加工作内容は、以下のとおりです。
  • 第5砲塔は、損傷復旧工事により撤去され、12.7p連装高角砲が搭載されたようです。キットでは14p砲の取り付け指示となっていますが、高角砲へ交換しました。しかしながら、詳細な取り付け位置が不明なため、個人的な推測で行なっています。
  • 4番煙突後方の測的所及び兵員室は、高角砲の視界確保のため撤去あるいは縮小された可能性が高いと考えて、パーツを切り詰めていますが、明確な根拠はありません。
  • 艦載機は、1944年頃には搭載されていなかったようなので製作しませんでした。カタパルトも撤去されていた可能性も考えられます。
  • 前部マスト中段の探照灯はキット説明書では110pを指定していますが、90pが正解です。なお、後部マストのものは 110pで正解です。
  • 艦橋前部には機銃が再現されていないので銃座をジャンクパーツにて再現し、13o連装機銃をPT艦船装備セットより調達しています。
  • 艦橋天蓋パーツは、キットでは前部マスト支柱に到達する長方形のパーツですが、艦橋側面のブルワーク以後は布張りだったと推測して後端を切除しました。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。そのほか、艦底色およびリノリウム色などはGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。
<建造について>
建造工程ついては、下記のアイコンからお入りください。 

     
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