巡洋艦 北上 旧日本海軍
 球磨型二等巡洋艦3番艦
掲載:2009年06月15日
修正:2014年08月26日
 重雷装艦 北上(きたかみ)1941 −重雷装艦改装後− <ピットロード製>
   
<使用キット>
  • スカイウェーブWシリーズ 47
    日本海軍軽巡洋艦「北上」
    1/700 ピットロード 1999年発売

 

<実艦について>
本艦は、もともと球磨型5,500t軽巡洋艦の 3番艦ですが、旧日本海軍の戦術思想により開戦間際に重雷装艦に改装されています。旧日本海軍は日露戦争終了後より米国を仮想敵国として戦略を立案していました。最終的な基本構想は太平洋を渡り攻めて来る米艦隊を潜水艦と飛行機で漸減し、多勢で進行してくる敵の数を少しでも減らした後に西太平洋上で艦隊決戦を行うものでした。重雷装艦による遠距離隠密魚雷発射戦は艦隊決戦前に行う一連の漸減作戦の一つとして考えられていたのです。

重雷装艦に改装予定されたのは「大井」、「北上」および「木曽」の3隻でしたが、実際に改装されたのは「大井」と「北上」のみとなっています。このため、他の球磨型が航空兵装を装備したのに対し、重雷装改装予定の3艦のみ航空兵装の強化工事を行いませんでした。しかし、大戦が始まると艦隊決戦を行う情勢にはならず、雷装を一部陸揚げして僚艦「大井」と共に高速輸送艦として活躍していましたが、「大井」が米潜水艦の雷撃により沈没した後、「北上」は本土防衛戦のために特攻兵器「回天」の母艦に再改装され、終戦時には残存していました。

以下に「北上」の重雷装艦へ改装された後の行動をまとめました。
  • 1941年8月24日〜12月10日、佐世保工廠にて重雷装艦に改装されます。
  • 1941年11月20日、第1艦隊第9戦隊に編入されます。
  • 1942年1月16日、陸軍輸送船団護衛に従事。
  • 1942年5月29日、ミッドウェー海戦に参加します。
  • 1942年11月20日、第9戦隊が解隊されます。以降、輸送艦として活躍。
  • 1943年3月15日、連合艦隊付属(南西部隊)に編入されます。
  • 1943年6月21日、マカッサルで敵機の攻撃により損傷。
  • 1943年7月1日、南西方面艦隊第16戦隊に編入されます。
  • 1944年1月25日、ポートブレアを出向し、27日に敵潜により雷撃を受け魚雷二本が命中して大破します。6月21日にシンガポールにて損傷修理が完了し、7月2日に旭東丸を護衛しますが、損傷修理箇所より浸水し、マニラにて再修理します。
  • 1944年8月14日に佐世保工廠にて回天輸送母艦の改装工事が始められます。
  • 1945年8月15日、終戦時には倉橋島に係留され、航行不能状態で残存。

<キットについて>
重雷装艦「北上」の1/700プラキットは、スカイウェーブシリーズ(SW)を展開するピットロード(PT)から発売されています。同型艦の「大井」もキット化されており、第二、第三煙突の高さが違うところを別パーツ化して両艦に違いを表現した好キットです。重雷装艦の資料はきわめて少なく、詳細不明なために長い間キット化がされていなかったのですが、さすがはPTですね。マイナー艦を積極的に開発しています。キットは魚雷発射管に簡易シールドが付いた状態で発売されていますが、最近になり、竣工時はキット仕様で、その後に軽量な構造のフルシールドが付けられていたとの説が有力視されています。また、短艇甲板と艦橋後部張り出しは、個人的にリノリウム張りだったと思います(説明書にも紹介されている)。

<作例について>
ほぼ説明書どおりに建造していますが、ちょっと追加工作をしています。追加工作は以下のとおりです。
  • 艦橋後部張り出し上と短艇収容甲板はリノリウム張りを表現しました。短艇収容甲板は伸ばしランナーを使い、押さえ金具を再現しています。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT艦船カラーのリノリウム色で塗装、その他はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

       
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