巡洋艦 大井 旧日本海軍
 球磨型二等巡洋艦4番艦
掲載:2009年06月07日
修正:2014年08月13日

 重雷装艦 大井(おおい)1941 −重雷装艦改装後− <ピットロード製>
   
<使用キット>
  • スカイウェーブWシリーズ 46
    日本海軍軽巡洋艦「大井」
    1/700 ピットロード ?年発売
 

<実艦について>
本艦は、もともと球磨型5,500t軽巡洋艦の4番艦ですが、旧日本海軍の戦術思想により開戦間際に重雷装艦に改装されています。旧日本海軍は日露戦争終了後より米国を仮想敵国として戦略を立案していました。最終的な基本構想は太平洋を渡り攻めて来る米艦隊を潜水艦と飛行機で漸減し、多勢で進行してくる敵の数を少しでも減らした後に西太平洋上で艦隊決戦を行うものでした。重雷装艦による遠距離隠密魚雷発射戦は艦隊決戦前に行う一連の漸減作戦の一つとして考えられていたのです。

また、この作戦の立案には隠密兵器である“酸素魚雷”の開発成功が大きく影響しています。重雷装艦に改装予定されたのは「大井」,「北上」,「木曽」の3隻でしたが、実際に改装されたのは「大井」と「北上」のみとなっています。このため、他の球磨型軽巡が航空兵装を装備したのに対し、上記3艦のみ重雷装改装予定艦であったために航空兵装の強化工事を行いませんでした。「木曽」がカタパルトを装備しなかった理由はこれが原因であると言われています。

以下に「大井」の重雷装艦へ改装された後の行動をまとめました。
  • 1941年1月〜9月、舞鶴工廠にて重雷装艦へ改装されました。
  • 1941年11月20日、第1艦隊第9戦隊に編入されます。
  • 1942年1月21〜26日、六連〜馬公間の輸送船団護衛に従事します。
  • 1942年5月29日ミッドウェー海戦に参加。
  • 1942年11月20日、第9戦隊解隊。以降、高速輸送艦として人員や物資の輸送に従事します。
  • 1943年3月15日、連合艦隊付属に編入されます。
  • 1943年7月1日、南西方面艦隊第16戦隊に編入されます。
  • 1943年12月1日、ペナン、サバン交通保護に従事します。
  • 1944年2月27日、インド洋交通破壊作戦に従事します。
  • 1944年7月19日、マニラ東方海面にて米潜水艦フラッシャーの雷撃を受けて沈没しました。

<キットについて>
重雷装艦「大井」の1/700プラキットは、スカイウェーブシリーズ(SW)を展開するピットロード(PT)から発売されています。同型艦の「北上」もキット化されており、第二、第三煙突の高さが違うところを別パーツ化して両艦に違いを表現した好キットです。重雷装艦の資料はきわめて少なく、詳細不明なために長い間キット化がされていなかったのですが、さすがはPTですね。マイナー艦を積極的に開発しています。キットは、魚雷発射管に簡易シールドが付いた状態で発売されていますが、最近になり、竣工時はキットのままで、その後に軽量な構造のフルシールドが付けられていたとの説が有力視されています。また、短艇甲板と艦橋後部張り出しは、個人的にリノリウム張りだったと思います(キットでは再現していません)。

<作例について>
まったくの素組みです。船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT艦船カラーのリノリウム色で塗装、その他はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

     
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