巡洋艦 大淀 旧日本海軍
 大淀型二等巡洋艦
掲載:2009年02月28日
修正:2014年11月21日
 軽巡 大淀(おおよど)1944 (連合艦隊旗艦改装後) <フジミ製>
 

 
<使用キット>
  • シーウェイモデル 13
    日本海軍軽巡洋艦「大淀」
    1/700 フジミ 1979年発売
 

<実艦について>
「大淀」は1939年度の軍備拡充計画(C計画)で建造が予定された軽巡です。この計画では阿賀野型4隻と大淀2隻の6隻が建造計画されました。計画当時はアメリカが1933年度以降に日本の最上型軽巡に対抗すべくブルックリン級軽巡9隻を建造して、1938年度にはクリープランド級軽巡9隻の建造を計画していたため、これらに対抗すべく立案された計画です。

しかし、中国大陸で戦争は始めた日本には隻数で対抗するだけの予算も資材もありませんでした。必要最低限でようやく6隻の軽巡建造計画が承認されましたが、これは老朽化が進む長良型の「阿武隈」を除く5隻と「夕張」の代艦として予定されたものです。6隻のうち4隻は乙型といい、水雷戦隊旗艦の阿賀野型軽巡として建造されました。残る2隻は丙型といって潜水戦隊旗艦として建造されました。

「大淀」は潜水戦隊旗艦用の丙型巡洋艦となります。同型艦として「仁淀」の建造計画がありましたが、太平洋戦争が開戦されて中止となりました。「大淀」が竣工した大戦中期頃には、レーダー技術の進歩と航空機の発達により潜水艦による戦術が大きく変化し、軽巡が潜水戦隊を率いて行動することが困難となっており、「大淀」の活躍する場所はありませんでした。このため、連合艦隊旗艦として改装されましたが、連合艦隊司令部自体が軍艦で指揮をとる時代ではなくなっていたため、旗艦任務は5ヶ月位しかありませんでした。歴史の流れに取り残された悲運の軍艦だったと思います。
  • 1943年2月28日、呉海軍工廠で竣工しました。横須賀鎮守府部隊に編入されます。
  • 1943年4月1日、第 3艦隊付属となります。
  • 1943年5月1日、機動部隊本隊となります。年内は主に木更津、徳島などで訓練に従事し、トラックやラバウルへ輸 送任務に従事します。
  • 1943年12月30日、トラックからカビエンへ輸送任務に出撃しましたが、1944年1月1日にカビエンで敵航空機の攻撃 を受け損傷します。清澄丸の被雷損傷により駆逐艦「秋月」と救援に向い、無事に清澄丸と会合します。
  • 1944年2月、サイパンへ輸送任務に従事します。
  • 1944年3月6日〜31日に連合艦隊旗艦の改装工事を実施します。5月4日に連合艦隊旗艦となり、司令長官に豊田大将が就任します。
  • 1944年9月29日に連合艦隊司令部は日吉台に移動し、旗艦任務を解かれます。
  • 1944年10月19日、第 3艦隊第31戦隊旗艦となります。10月20日にレイテ沖海戦へ参加、小沢機動部隊に所属し行動します。25日にエンガノ岬沖の戦闘で艦隊旗艦の空母「瑞鶴」が損傷したため「大淀」に旗艦が変更されました。この海戦で命中弾2発を受けますが、戦闘航海に支障はありませんでした。
  • 1944年11月15日に第2艦隊付属へ編入されます。24日、礼号作戦に参加。26日にサンセホに突入し、輸送船団と陸上 施設を砲撃します。B-24爆撃機の爆撃を受けますが、被害は軽微でした。
  • 1945年1月1日、南西方面艦隊第 5戦隊に編入されます。同年2月10日、北号作戦に参加します。
  • 1945年3月19日に呉付近で敵艦載機の攻撃を受けて中破し、同年7月24日に江田島湾にて敵艦載機の攻撃を受け損傷 します。さらに28日に再度攻撃を受け、直撃弾11以上を浴びて大破転覆してしまいました。

<キットについて>
「大淀」の 1/700インジェクションプラスチックキットは、長らくフジミが発売していた本キットのみでしたが、2008年末にアオシマよりウォーターラインシリーズ( WL)として新開発キットが発売されました。この新キットはまず限定版として竣工時仕様が限定発売され(後日、竣工時仕様はシリーズ定番商品化されました)、2009年2月には連合艦隊旗艦仕様が発売されました。

一方、古参キットであるフジミ製は、元々、WLとして発売されていたもので、連合艦隊旗艦時の仕様となっていますが、2008年春季に限定版でエッチングパーツを使った“竣工時仕様改装キット”を発売し、何とかバリエーション展開を保ってきました。しかし、対陣するWLのアオシマがついに新キットを発売したことにより、フジミのキットの価値は薄くなってしまいました。現在では価格が安いことが強みのキットというべきでしょうか?

フジミのキットは、WLが発売し始めた当時から8年後の1979年にWLのシリーズとして発売されたキットですが、発売当時の評価はあまり良くなかったようで、特に軽巡としてはタミヤの阿賀野型と比べるとシャープさが無いところに原因がありそうです。開発担当のフジミは1992年にWLを脱退して独自ブランドの“シーウェイモデル(SWM)”を立ち上げ、現在は このSWMシリーズとして発売されています。

考証的には全体的におおよそ正しい…という感じですが、後部甲板のレイアウトは少々実艦と違う点が目立ちます。

<作例について>
今回は“苦”にならない程度に追加工作をしています。追加工作は以下のとおりです。
  • 主砲塔はピットロードの艦船装備セットに変更しています。
  • 機銃と短艇類、零式水偵はWLの武装セットを使用しています。
  • 10p高角砲の砲座ブルワークは舷外側のみを残して削除しました。
  • 艦載機発進滑走台はタミヤの最上型キットより調達しました。
  • 前部マスト下部の構造物は船体より切り取って、マストの下段に取り付けるように加工しました。ここは兵員待機所 でキャンバス張りだったようです。
  • 兵員待機所を船体より取り除いたため、キットでは、この構造物と煙突の接合部が艦首尾に対して水平になっています。煙突の下部先端を船体の甲板下に続くラインに修正しました。
  • 艦橋前面は衣島氏の連合艦隊編成講座で指摘されているように、実艦に近い形状に修正しました。
  • 艦橋側面は船体舷外窓の大きさを考慮して0.7oのピンバイスで窓を再現しました。
  • 司令室の天蓋は伸ばしランナーを使いリノリウム貼りを再現しました。
  • 司令室側面の窓は大きいので、埋め直して0.7oのピンバイスで再現しました。
  • 艦橋下部の両舷にある高射指揮装置はWLの武装セットより調達しました。
  • 前部および後部マストはプラ棒にてステーを追加しています。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT艦船カラーのリノリウム色で塗装、その他はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程については、下記のアイコンからお入りください。 ↓

     
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