巡洋艦 夕張 旧日本海軍
 夕張型二等巡洋艦
掲載:2009年05月22日
修正:2014年12月11日
 軽巡 夕張(ゆうばり)1944 (対空兵装強化後) <タミヤ製>
 
 
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 319
    日本軽巡洋艦「夕張」
    1/700 タミヤ 1984年発売
 
 

<実艦について>
1918年の5,500t型巡洋艦9隻の建造計画で球磨型軽巡5隻と長良型軽巡4隻が建造されることになりました。「夕張」は当初長良型4番艦「綾瀬」として建造されるはずでしたが、平賀博士の着想により小型巡洋艦として試作建造されることになり、「夕張」と命名されました。

本艦は、建造当時の八八艦隊計画による大艦隊建造費を節約することを目的とし、5,500t型巡洋艦と同等の戦闘力を持つ小型巡洋艦として計画されたのです。その独創的な設計に世界中の海軍関係者が驚いたと言われています。本艦の特徴は駆逐艦的な構造を持っているところでした。5,500t艦と比べ、船体の首尾線上に主砲や魚雷発射管のすべてを配置しており、誘導煙突なども採用して外見的にも進歩した艦でした。誘導煙突はその後の日本巡洋艦の特徴的なデザインとなります。
  • 1922年6月5日に佐世保工廠にて起工され、1923年7月11日に竣工しました。
  • 1923年12月1日に第1艦隊第3戦隊に編入されます。
  • 1924年〜1940年には主に中国方面や南洋方面で行動します。
  • 1940年11月15日、第 4艦隊第6水雷戦隊に編入されます。
  • 1941年12月8日の開戦時、ウエーキー攻略作戦に参加しますが作戦は失敗。21日には、第二次ウエーキー攻略作戦に参加し、無事に作戦が完了します。
  • 1942年1月17日にはラバウル攻略作戦、3月1日にはサラモア攻略作戦、5月4日にはモレスビー攻略作戦に従事します。
  • 1942年7月10日、第 4艦隊第 2護衛隊に編入されます。8月7日に第一次ソロモン海戦に参加。8月30日にはナウル攻撃作戦、31日にはオーシャン攻略作戦に従事。以降、船団護衛などに従事します。
  • 1943年4月1日、第 8艦隊第 3水雷戦隊に編入されます。5月3日にツルブ輸送に従事、7月5日にブインにて触雷 して損傷し、ラバウルで山彦丸に横付けし修理します。
  • 1943年11月4日、陸軍部隊の輸送に従事。14日にはラバウルで敵機の攻撃を受け損傷。18日にはガロベヘ陸軍部隊輸 送に従事しますが、24日に敵機の攻撃を受け至近弾により損傷します。
  • 1944年3月22日、東松船団護衛に従事。4月26日、陸軍部隊輸送に従事しますが、27日にソンソル島付近にて米潜水 艦「ブルーギル」の雷撃を受け沈没してしまいました。

<キットについて>
1984年当時、シリーズ205としてタミヤが発売しましたが、現在はシリーズbフ改定により319として発売されています。シリーズでは日本艦の第二期開発時期の最後に発売されたキットであり、一般的な評価も良好なようです。

但し、現在の艦船模型開発技術レベルでみるとモールドがあっさりし過ぎて寂しい感じを受けます。細かく見れば、艦橋頂部の射撃指揮所が少し小さいのが唯一の欠点となります。

キットでは対空兵装強化の最終時を再現しています。

<作例について>
作例はほぼ素組みですが、以下の追加工作を行っています。
  • 艦橋基部両舷の機銃座は、キットでは第二砲塔の後ろ側に位置していますが、修正しました。銃座はジャンクションパーツより調達しました。
  • 後部マスト基部の機銃座もやや前方に変更しました。機銃座はジャンクションパーツより調達しました。
  • ボートダビットを駆逐艦と同じラフィング型のようなので、PTの武装パーツより調達しました。
  • 9mカッターはWLのリニューアルパーツ、9m内火ランチはPTの武装パーツより調達しました。
  • 25o連装、 3連装機銃はPT製武装パーツのものに交換しました。
  • 舷外消磁電路は0.25×0.5oプラ角棒を使って再現しました。
  • 前部および後部マストのヤードをプラ丸棒に変更しました。
  • 艦尾の爆雷投下軌条をPT武装パーツのものに変更しました。
  • ピンバイスを使い、船体舷側に窓を再現しました。
船体や上部構造物は、我が造船所の軽巡色である呉工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT社の艦船カラーのリノリウム色で塗装、その他はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程については、こちらをご覧ください。 ↓

     
inserted by FC2 system