駆逐艦 秋雲 旧日本海軍
 陽炎型一等駆逐艦19番艦
掲載:2017年07月29日
修正:2017年08月09日
 秋雲(あきぐも)1943 <アオシマ製>
↑左舷前方からの写真
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↑右舷後方からの写真
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<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 445
    日本駆逐艦「秋雲」
    1/700 アオシマ 2004年発売

<実艦について>
駆逐艦「秋雲」は、陽炎型19番艦として1940年7月2日に浦賀船渠で起工し、1941年9月27日竣工しました。同日附で横須賀鎮守府所属となります。 同時に9月27日附で編制されたばかりの第五航空戦隊に編入され、吹雪型駆逐艦「朧」とともに最新鋭の翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)の護衛を務めます。 11月17日、来る“真珠湾攻撃”のために編成された第一航空艦隊に警戒隊として参加することになります。

1942年にはラバウル、ニューギニアおよびビスマルク諸島方面の作戦に参加します。2月から3月にかけては第五航空戦隊とともに後方に下がって三菱横浜造船所で整備の後、セイロン沖海戦に参加。一連のセイロン島をめぐる海戦では、補給部隊の護衛に就きます。 4月10日、第五航空戦隊から外され、第一航空艦隊の直衛に任ずる第十戦隊の駆逐隊、第10駆逐隊(夕雲型駆逐艦「夕雲」,「巻雲」,「風雲」の3隻)に編入されます。第十戦隊は6月5日のミッドウェー海戦が初陣となりましたが、海戦は大敗。「秋雲」は海戦直前に機動部隊を離れて補給部隊の護衛に回っていました。さらに、海戦直後のアリューシャン攻略作戦にも参加。7月14日には臨時編成の第一航空艦隊が解散して第三艦隊が編成され、戦備が整うまでの間、第10駆逐隊の「秋雲」と「風雲」は佐世保鎮守府協力部隊として行動し、7月25日馬公発の第 239船団の護衛を途中より実施しました。

その後、第二次ソロモン海戦に参加、9月29日からは第三水雷戦隊の指揮下に入り、ショートランドへ進出してガダルカナル島に対する「鼠輸送」を10月3日、6日および9日の3回に渡って実施。いずれもタサファロング沖に進入し、陸兵や糧食、武器弾薬の揚陸に成功しています。10月26日の南太平洋海戦では、前衛部隊に配備され、「巻雲」と協同して大破漂流中の米空母「CV-8ホーネット」を雷撃処分しました。10月30日にトラック諸島に帰投しますが、その際に推進器を損傷し、南太平洋海戦で損傷した空母「翔鶴」及び「瑞鳳」、重巡「熊野」及び「筑摩」を護衛して内地へ帰投します。

1943年1月上旬、呉海軍工廠での修理を終え、1月6日に特型運貨筒を積載してトラック泊地へ向かう水上機母艦(甲標的母艦)「日進」を護衛して、瀬戸内海を出発 。1月18日には、トラック泊地へ向かうため戦艦「武蔵」、第一航空戦隊の「瑞鶴」と「瑞鳳」、護衛艦「秋雲」他6隻という編制艦隊で岩国沖を出撃。1月23日にトラックに到着しました。

 その後、 ガダルカナル島からの撤退作戦である『ケ号作戦』に 3回全て参加。作戦終了後はパラオに移動し、ニューギニアの戦いに投入される陸軍第四十一師団主力を青島からウエワクまで輸送する丙号輸送作戦の『丙三号輸送』に協力。 3月にはウエワクとマダンの間にあるハンサへ陸軍第二十師団の将兵を輸送する輸送船団の護衛を行ないました。そしてラバウルへ進出し、コロンバンガラ島への輸送作戦、ニューブリテン島ツルブへの輸送作戦に従事し、その後、第十戦隊の「秋雲」他は第一航空戦隊「瑞鶴」と「瑞鳳」を護衛して内地へ帰投。 5月31日から 6月 5日まで横須賀海軍工廠で整備を行い、電波兵器の新設工事等を実施しました。

10月5日、ベララベラ島からの人員撤収のため、第三水雷戦隊の夜襲隊(旗艦「秋雲」他、「風雲」、「夕雲」、「磯風」、「時雨」、「五月雨」)はラバウルを出撃。ブーゲンビル島北方海域で輸送部隊と合流の後、ベララベラ島に接近します。両部隊は米軍偵察機によって発見されていたため、夜半過ぎに米第 4駆逐部隊との間にて『第二次ベララベラ海戦』が勃発。日本側は「夕雲」を失ったものの、ベララベラ島からの人員撤収には成功しました。

海戦後は、機動部隊とともにエニウェトク環礁方面を行動したほか、トラックと横須賀間の護衛任務に従事します。10月31日、「夕雲」の代艦として朝潮型駆逐艦「朝雲」が第10駆逐隊に加入。11月24日、「秋雲」はクェゼリン環礁へ向かう特設運送船(給油)東亜丸を護衛してトラックを出港しますが、翌11月25日にポンペイ島北方海域で米潜水艦「SS-196シーレイヴン」の雷撃により「東亜丸」が沈没し、爆雷攻撃を行ったものの「シーレイヴン」を取り逃がしました。その後はトラックとパラオ間の護衛任務を実施。 12月12日、空母「翔鶴」と戦艦「大和」を護衛して横須賀へ帰港しました。

 横須賀での二度にわたる整備ののち、1944年4月1日、第10駆逐隊の「風雲」及び重巡「利根」と「筑摩」とともに航空基地物件輸送のため昭南(シンガポール)を出撃してダバオに向かうが、途中で輸送任務が中止となったため昭南に引き返します。「利根」他 3隻とはここで別れ、別途物件輸送のため4月5日に昭南を出撃して再度ダバオに向かう。4月9日にダバオに到着して燃料や航空魚雷などを陸揚げした後、翌4月10日にダバオを出撃してリンガ泊地に向かいました。しかし、その道中でバリクパパンからダバオに単独向かう途中の特設運送船「聖川丸」と会合し、護衛任務終了後にスールー海から引き返し、訓練と警戒を行いつつバシラン海峡を東航してダバオに向かう途中の4月11日夕刻、付近を哨戒中の米潜水艦「SS-272レッドフィン」に発見され、艦尾発射管からの4本の魚雷を受け、バリサン海峡東方で沈没しました。

(参考:フリー百科事典−ウィキペディア−)


<キットについて>
1/700陽炎型駆逐艦のキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)のアオシマとスカイウェーブシリーズ(SW)のピットロード、シーウェイモデル(SWM)のフジミから発売されています。今回は、2004年にリニューアル発売されたWLキットを建造しました。

WLキットでは、当初1番艦「陽炎」を始め、「雪風」など6隻を発売し、その後に「磯風」と「天津風」が追加され「早潮」が絶版となっており、現在7隻が発売されています。また、限定版で「黒潮」と「磯風」が販売されたことがありました。「秋雲」は陽炎型駆逐艦の最終艦ですが、長い間、夕雲型と思われていた艦です。キットでは、大戦中期の対空兵装強化仕様となる1943年頃を現しています。旧キットでの発売はありませんでした。

旧キットで問題となった、主砲塔、魚雷発射管、マストなどの形状は改善されて良好ですが、開発が10年以上も前とやや古いために、最近の新キットに比べるとモールドが簡素で物足らない感じを受け、また、主砲塔や魚雷発射管の側面モールドが全く再現されていないために少々見劣りすることも事実です。

<作例について>
ほぼ素組みです。私としては大変うれいしいことです。キットでは1943年から1944年前半の大戦中期頃を設定しています。対空機銃の増備を始めていますが、後部二番砲塔の撤去までは実施されていません。

キット指定どおりですが、以下の部分を追加工作しています。
  • キット指示では1箇所のみ誤りがあります。探照燈はキット指定の75pではなく90pのものなので、キットパーツ以外から調達しなければなりません。今回はウォーターラインシリーズ武装セットの大型艦用から調達しました。
  • キットの機銃類、艦首側ボートダビット、爆雷装填台及び投射機はピットロード社の武装セットより調達しました。
  • 舷外消磁電路を0.25o×0.5oのプラ棒にて再現しました。形状は、手持ち資料写真の「不知火」と同じパターンにしています。
船体や上部構造物は、我が造船所の駆逐艦色である舞鶴工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT社の艦船カラーのリノリウム色で塗装、そのほかはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

なお、私的好みで舷側中央と艦尾の艦名を表記しておりますが、大戦中は塗りつぶされていました。

     
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