<実艦について>
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- 1933年3月31日、舞鶴工廠で吹雪型22番艦(特V型2番艦)として竣工しました。竣工後に第6駆逐隊に編入されます。
- 1940年11月15日には第1艦隊第1水雷戦隊に編入されます。以降、1942年6月まで「暁」と行動を共にし、6月12日にキスカにて被爆により損傷。同年11月から1943年2月まで空母「大鷹」の護衛任務に従事します。
- 1943年7月にはキスカ撤退作戦に参加、以降、1944年4月まで輸送作戦や空母「飛鷹」、「龍鳳」、「海鷹」、「千代田」や船団の護衛などに従事します。同年6月にマリアナ沖海戦に参加。
- 1944年9月に高雄付近にて雷撃を受け損傷。第2艦隊第2水雷戦隊第7駆逐隊に編入されます。
- 1945年3月19日には広島湾にて敵空母機と交戦し、29日には周防灘にて触雷してしまい呉で修理します。7月10日に、第1海上護衛隊第105戦隊に編入され、終戦を迎えました。
<キットについて>
- タミヤがウォーターラインシリーズ(WL)52「響」として1972年に発売したキットで、発売当初は既存キットに比べてシャープなキットとして大好評だったそうです。
キットは大戦中の対空兵装強化後の仕様で発売されていますが、艦橋パーツには性能改善工事前の大型のものがセットされており、厳密にいうとキットと実艦で異なる部分も多く、考証的にやや甘さが目立ちます。ただ、特V型のもっとも特徴的な部分である第一煙突と第二煙突の形状はきちんと再現されており、手軽に特V型を再現できるキットです。現在では武装パーツが新規開発されたものとなり、WLのシリーズナンバーが改定されて407として発売されています。
しかしながら、開発されてから35年が経過して金型が疲弊しているようで、最近流通しているキットの主要パーツである船体や煙突などは、整形状態があまり良くありません。また、モールド表現も時代遅れな部分が目立っており、リニューアルが待たれるキットとなりました。
<作例について>
- 最終時の天一号作戦前の訓練中という想定で建造しました。実際には機雷による損傷で天一号作戦には参加していませんが、終戦まで残存した幸運艦です。船体以外の主要部分は以下のとおりほとんど追加工作しています。
なお、第二煙突後方の機銃座は「響」のキットには付属していますので、追加工作する必要はありません。また、性能改善後仕様のため、伝声管の再現は不要です。
- 艦首側面の錨はリニューアルパーツより調達しました。
- 12.7p主砲および25o機銃類は、ピットロード(PT)の武装パーツより調達しました。
- 船首楼甲板はプラ板にて 4o程度後方に延長しています。これに合わせて側面も修正しています。
- 3連装魚雷発射管はリニューアルパーツのものを使用しました。
- 探照燈後ろに方位測定艤をリニューアルパーツより調達、その下にプラ棒で方位測定室を再現しました。船体や上部構造物は、我が造船所の駆逐艦色である舞鶴工廠グレーで塗装しました。
- 探照燈前と二番煙突後ろの空間には機銃座があったので、プラ板にて再現し、13o単装機銃はキットのものを使用しした。
- 各部分の複雑な形状をしているビームをプラ棒にて再現しました。
- リノリウム押さえ金具を 0.2o真鍮線にて再現しました。
- 7mカッターはリニューアルパーツより調達し、カッター用ダビットはPTの武装パーツより調達しました。
- 6m通船はPTの武装パーツより調達しました。
- 艦側面の窓を0.6oピンバイスにて再現しました。
- 爆雷投射機と装填台をPTの武装パーツより調達し、二分割して装着しました。
- 左舷前部と後部の予備魚雷格納筐の形状を修正し、右舷側の格納筐も含め、プラ板にて蓋を再現しました。
- 0.25o×0.5oプラ棒により、舷外消磁電路を再現しています。
- 艦橋パーツは同シリーズの「綾波」のキットより調達し、形状修正しています。
- 前楼中段の22号電探をリニューアルパーツより調達しました。
船体や上部構造物は、我が造船所の駆逐艦色である舞鶴工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPTの艦船カラーのリノリウム色で塗装、そのほかはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。
なお、私的好みで舷側中央と艦尾の艦名を表記しておりますが、大戦中は塗りつぶされていました。
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