駆逐艦 雪風 旧日本海軍
 陽炎型一等駆逐艦8番艦
掲載:2017年07月29日
修正:2017年11月11日
 雪風(ゆきかぜ)1945 <アオシマ製>
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<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 444

    日本駆逐艦「雪風」

    1/700 アオシマ 2004年発売

<実艦について>
「雪風」は陽炎型8番艦として佐世保工廠にて1938年8月2日に起工し、1940年1月20日に竣工。竣工後は呉鎮守府に所属し、陽炎型3番艦「黒潮」並びに 7番艦「初風」と第16駆逐隊を編制しました。同年10月11日、同型艦「初風」および「黒潮」と共に紀元二千六百年特別観艦式に参加します。
開戦直前の第16駆逐隊の構成は、第二水雷戦隊(旗艦「神通」)に所属し、「雪風」は司令駆逐艦として以下「時津風」、「初風」、「天津風」の陽炎型駆逐艦4隻であり、「雪風」と「時津風」が第一小隊、「天津風」と「初風」が第二小隊という編制でした。初陣は1941年12月12日、フィリピンのレガスピに対する上陸支援でした。

1942年1〜2月、第五戦隊東方攻略部隊第二護衛隊(第二水雷戦隊)としてダバオ湾を出撃し、メナド攻略作戦の一環であるケマ上陸支援に参加、ケンダリー、アンボン、チモール島の各上陸作戦支援に従事しました。2月27日からはスラバヤ沖海戦に参加。4月にニューギニア西部方面攻略掃討戦、通称「 N作戦」に従事し、作戦は成功します。その後、工作艦「明石」、給油艦「日栄丸」および「あけぼの丸」の護衛を実施。

1942年6月のミッドウェー海戦には、第二艦隊攻略部隊の一員として参加し、輸送船団の護衛として防空戦にあたるものの、南雲機動部隊主力空母 4隻の喪失により撤退。以後、横須賀にて修理整備作業に従事します。7月14日、大規模な艦隊再編制により「雪風」以下第16駆逐隊は第十戦隊に所属することになりました。空母「飛鷹」の訓練の随伴任務とサイパン方面護衛任務についたのち、輸送船「南海丸」や重巡「鳥海」および「最上」、工作艦「明石」、空母「雲鷹」の護衛を実施します。

10月12日、「雪風」は第16駆逐隊の僚艦「天津風」と共にヌデニ島のグラシオサ湾(サンタクルーズ諸島)を偵察、砲撃を行いました。その後、南太平洋海戦に参加。11月に第三次ソロモン海戦第一次夜戦に参加し、友軍艦艇の誤射により若干の浸水被害を出し、工作艦「明石」の修理を受けます。12月には空母「飛鷹」を護衛を実施しました。

1943年1月19日、第十駆逐隊と共に南東方面部隊に編入され、さらに外洋部隊(第八艦隊)に編入となりラバウルへ進出。2月1日より3回におよぶガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加、僚艦の駆逐艦が次々と損傷する激しい任務を「雪風」は無傷で完遂しました。3月7日、ラバウルを出発し、約2か月間ソロモン海域で輸送任務に従事します。5月には空母「瑞鶴」と「瑞鳳」、戦艦「大和」及び「榛名」の護衛を実施。6月1日に改装のため呉に入港し、25o機銃の増設や逆探を装備しました。

6月15日、前進部隊に編入されて16日に横須賀を出港、南方へ進出します。6月30日、第四水雷戦隊の指揮下を離れて外南洋部隊に属し、ラバウルへ進出。その後、ブインとラバウルの間を往復しました。7月9日、第八艦隊の警戒隊としてブーゲンビル島・ブインを出撃、コロンバンガラ島輸送に参加し、駆逐艦「夕暮」と共にニュージョージア島ポリ岬のアメリカ軍に対して艦砲射撃を実施。7月12日夜にコロンバンガラ島沖海戦に参加。警戒隊の指揮を執って連合軍艦隊へ魚雷攻撃を行い、連合国側に大破・撃沈の損害を与える戦果を上げ、コロンバンガラ島への上陸作戦は成功します。7月18日よりコロンバンガラ島への輸送作戦を実施。アメリカ軍魚雷艇12隻を撃退して揚陸に成功しました。

その後、重巡「熊野」を護衛して呉へ帰港し、25o機銃を増設。10月6日より空母「龍鳳」の護衛に従事。11月15日から輸送船「靖国丸」、給糧艦「伊良湖」を護衛して日本とトラック泊地間を往復しました。12月17日、3度目の改装を実施。2番主砲塔(艦尾側)を撤去して九六式25o高角機銃3連装2基を設置するなど、対空装備の強化が図られました。電探は前部マストに対水上用22号、後部マストに対空用13号を装備。

1944年1月ヒ三一船団、2月に空母「千歳」と輸送船「東山丸」、3月及び4月には空母「瑞鳳」および「千歳」、「龍鳳」、戦艦「大和」、重巡「摩耶」の護衛を実施。3月31日に僚艦と構成していた第16駆逐隊は解隊し、第十戦隊(旗艦「矢矧」)に所属する第17駆逐隊の5番艦に編入されました。同年6月1日の時点で、第十戦隊(旗艦矢矧)所属・第17駆逐隊は第一小隊の「磯風」(駆逐隊司令艦)、「浦風」、「谷風」と第二小隊の「浜風」、「雪風」で編成されていました。

同年5月、連合艦隊主力はタウイタウイ泊地に進出し、第17駆逐隊は同地で対潜哨戒任務にあたりました。 16日、「雪風」と「磯風」は第五戦隊を護衛してタラカン島へ移動し、18日にタウイタウイへ帰投。22日に第17駆逐隊の「雪風」、「磯風」、「浦風」は第三航空戦隊「千歳」の航空機訓練を護衛中、僚艦と共に「千歳」を雷撃した敵潜水艦の掃討を実施。その帰路、タウイタウイ泊地湾口に入港する際、触礁により推進器の先端を破損してしまいます。最大発揮速力が28ノットに低下しました。

6月15日、「浦風」と共に第二補給部隊を護衛してギマラス泊地を出発、翌16日深夜、米潜水艦カヴァラ(SS-244)の追跡を受けますが、迎撃によりこれを撤退させました。17日に駆逐艦「卯月」と合流、18日には第一補給部隊「響」、「速吸」等と合流。19日、マリアナ沖海戦に参加。「雪風」ら第二補給部隊は23日、ギマラスに回航。26日、給油艦部隊「速吸」、「日栄丸」、「梓丸」らの護衛中、ペピタン礁で座礁。僚艦「響」と「夕凪」および「速吸」の支援により窮地を脱します。28日、推進器修理のため単艦で日本に向け出発、7月3日に呉軍港に到着。

本土帰投後、因島ドッグでスクリューを交換して各部を修理すると共に対空兵装の強化を行い、25o単装機銃10挺および13o単装機銃4挺を増設。9月下旬より、第17駆逐隊の「雪風」他は戦艦「扶桑」と「山城」を護衛。10月20日、レイテ沖海戦に参加。 25日、栗田艦隊はアメリカ軍護衛空母部隊と遭遇し、「雪風」他、第十戦隊はアメリカ艦隊に突撃しましたが、海戦は日本側の惨敗に終わりました。11月、空母「隼鷹」、重巡「利根」、軽巡「木曾」の護衛を実施。

レイテ沖海戦後、艦隊は東南アジアから日本へ撤退することになりました。この間に艦隊編制が変わり、第十戦隊は解隊、第17駆逐隊は第二水雷戦隊所属となります。11月、戦艦「大和」および「長門」、「金剛」と軽巡「矢矧」の本土回航や、空母「信濃」の呉回航を護衛しますが、戦艦「金剛」と空母「信濃」は米潜水艦の雷撃を受け沈没しています。

1945年1月以降、第17駆逐隊は特攻兵器回天の訓練に協力。4月6日、戦艦「大和」の沖縄水上特攻作戦に参加し、僚艦「浜風」と「磯風」は沈没。10日、中国大陸廈門市で座礁し進退不能となった姉妹艦「天津風」が自沈し、全19隻建造された陽炎型駆逐艦は「雪風」 1隻となります。20日、第二水雷戦隊は解隊され、同日附で第21駆逐隊の残存艦「初霜」が第17駆逐隊に編入されました。

その後、第17駆逐隊の「雪風」は僚艦「初霜」と共に第三十一戦隊に編入。7月30日、宮津湾にて「初霜」は空襲回避中に機雷に触れ、座礁・沈没。「雪風」にはロケット弾1発が命中しましたが幸運にも不発、アメリカ軍機1機を撃墜しました。この戦闘が「雪風」としての最後の戦闘になり、8月15日の終戦を迎えました。同日附で第17駆逐隊は解隊され、「雪風」は第41駆逐隊に編入されます。18日、宮津湾空襲で艦橋が破壊された潜水母艦「長鯨」を牽引して舞鶴に回航。

8月26日に第一予備艦、12月1日に第二復員省の特別輸送艦に指定され、終戦後は復員輸送艦として活躍、その後、連合国側の中華民国へ賠償艦として譲渡されました。

(参考:フリー百科事典−ウィキペディア−)

<キットについて>
1/700陽炎型駆逐艦のキットは、ウォーターラインシリーズ(WL)のアオシマとスカイウェーブシリーズ(SW)のピットロード、シーウェイモデル(SWM)のフジミから発売されています。今回は、2004年にリニューアル発売されたWLキットを建造しました。

WLキットでは、1番艦「陽炎」を始め、「雪風」など6隻を発売しており、また限定版で「黒潮」と「磯風」も発売しましたが、その後に「磯風」と「天津風」が定番キットで追加され「早潮」が絶版となりました。「雪風」は陽炎型駆逐艦において唯一、終戦時に残存していた艦であり、キットでは、大戦後期の対空兵装強化仕様となる1945年頃を現しています。旧キットでは1944年頃の設定でキット化していました。

旧キットで問題となった、主砲塔、魚雷発射管、マストなどの形状は改善されて良好ですが、開発が10年以上も前とやや古いために、最近の新キットに比べるとモールドが簡素で物足らない感じを受け、また、主砲塔や魚雷発射管の側面モールドが全く再現されていないために少々見劣りすることも事実です。

<作例について>
ほぼ素組みです。私としては大変うれいしいことです。キットでは1941年の開戦頃を設定しています。対空機銃の増加はなかったものと思われますので、キット指定どおりですが、以下の部分を追加工作しています。
  • キット指示では1箇所のみ誤りがあります。探照燈はキット指定の75pではなく90pのものなので、キットパーツ以外から調達しなければなりません。今回はウォーターラインシリーズ武装セットの大型艦用から調達しました。
  • キットの機銃類、艦首側ボートダビット、爆雷装填台及び投射機はピットロード社の武装セットより調達しました。
  • 舷外消磁電路を0.25o×0.5oのプラ棒にて再現しました。形状は、手持ち資料写真の「不知火」と同じパターンにしています。
  • 単装機銃の舷側防弾板をプラ板で再現しました。
船体や上部構造物は、我が造船所の駆逐艦色である舞鶴工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT社の艦船カラーのリノリウム色で塗装、そのほかはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

なお、私的好みで舷側中央と艦尾の艦名を表記しておりますが、大戦中は塗りつぶされていました。


     
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