「阿武隈」 旧日本海軍 占守型海防艦
 1番艦「占守」/2番艦「国後」
掲載:2012年05月06日
修正:2014年07月30日
 占守(しむしゅ)1940/国後(くなしり)1944 <ピットロード製>
↑ 左舷前方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑ 右舷後方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • スカイウェーブWシリーズ 139
    日本海軍占守型海防艦 占守
    1/700 ピットロード 2012年発売

<実艦について>
占守型海防艦は、1937年のB計画にて計画された新型海防艦 4隻であり、北方警備を主任務とし、掃海と護衛を副任務としていました。この北方警備とは北洋における漁船保護が目的でした。

占守型海防艦は駆逐艦より小型な艦艇でしたが、軍艦籍にあったため新造時から1942年前半まで軍艦の象徴である菊花紋章を艦首に取り付けられていました。しかし、1942年7月に艦種の再編があり、海防艦が軍艦籍より除外されて駆逐艦同様の独立艦種に分類されたため、艦首のご紋章は取外されました。

設計は艦政本部が多忙だったため、設計支援の三菱艦船計画課に発注されました。三菱側では最初の海軍設計受注艦ということから非常に凝った構造の艦を設計してしまったようで、結果的には戦時急造艦には向いていなかったこの艦を戦時の護衛艦のプロトタイプにするしかなかった海軍の護衛艦に対する重要性の認識不足に問題があったようです。

第1艦の「占守」は1938年11月29日に三井造船玉野造船所で起工され、同型艦3隻も1941年3月までに完成し、「国後」、「八丈」、「石垣」と命名されました。1943年頃には爆雷を36個に増備、また、探信儀を装備しました。1944年には爆雷を60個に再増備し、電探を装備して機銃も増備しています。

1番艦の「占守」は開戦時に南遺艦隊に所属してマレー上陸船団護衛任務に従事し、アナンバス、パレンバン作戦に参加。1944年11月に比島沖で被雷により艦首を損失し、修理の際に丙型海防艦の艦首と択捉型海防艦の煙突を取り付けました。終戦時に残存し、1947年にソ連へ賠償艦として引き渡されています。

2番艦の「国後」は開戦時に大湊警備府に所属して津軽海峡方面の警備に従事し、1942年6月のアリューシャン攻略作戦に参加、以後アリューシャン、オホーツク海方面で活躍し、終戦時まで残存しています。

−占守型海防艦−
★性能:
 ・基準排水量860トン
 ・全長78.0m
 ・速力19.7ノット

★兵装:
 ・12p砲3基
 ・25o連装機銃2基
 ・94式爆雷投射機1基と爆雷18個

<キットについて>
1/700占守型海防艦のインジェクションキットは長い間発売されていなかったのすが、ピットロードがスカイウェーブ大戦シリーズ(SW)の充実性を求めたのか?それとも新規開発のネタ切れ?なのか、2012年に至り、海防艦ラインナップで穴が空いている“御蔵型”と一緒に発売されました。

キットは既存開発キットの手直しなのか?同様の仕上がりで、SWでおなじみの力強い詳細なモールドで仕上がっており、好感が持てます。 1/700プラキットの海防艦としては唯一の存在であるため、一般的な評価も高いようです。

キットは 2隻セットであり、前後マストは竣工時と大戦末期の形状を別々のパーツとして用意しており、竣工時から大戦末期まで作り分けることができるようなっています。

<作例について>
作例では「占守」を大戦前の竣工時仕様としました。「国後」は大戦末期の対空兵装強化仕様とし、説明書に記載されたとおり対空機銃を増備した武骨なスタイルに仕上げました。
  • 船体舷側窓は、0.6oピンバイスで再現しました。
  • 「占守」の前後マストはキットパーツを使用せず、0.4oと0.3oのプラ丸棒にて再現しています。
船体色は我が造船所の駆逐艦色であるGSIクレオスの舞鶴工廠グレーを使用、リノリウムはPTの艦船カラーのリノリウム色で塗装、そのほかはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程については、下記のアイコンよりお入りください。↓

     
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