水上機母艦 瑞穂 旧日本海軍
 瑞穂型水上機母艦
掲載:2014年02月11日
修正:2016年12月13日
 瑞穂(みずほ)1941 <アオシマ製旧キット>
↑ 左舷前方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
↑ 右舷後方からの眺望
(画像はクリックすると大きくなります。)
<使用キット>
  • ウォーターラインシリーズ 523
    日本水上機母艦 「瑞穂」
    1/700 アオシマ 2002年発売(絶版)

    (写真上段のキット⇒)

<実艦について>
日本は、国土の四方を海洋に囲まれているといった地理的要因から、作戦地域は大河や大洋といった水域が多く、飛行場の整備がままならない地域では水上機による偵察や陸上部隊の戦闘支援が欠かせない状態でした。したがって、水上機に補給・支援を行う洋上補給基地となる水上機母艦の整備の必要性を旧日本海軍が覚えたのは当り前であり、事実、第一次世界大戦の参戦経験から作戦地域での活動において水上機が貴重な戦力であることを重視していました。このため、「瑞穂」の計画前には11隻もの商船または特務艦改造水上機母艦が活躍していました。

このような戦術思想の中、1924年に計画された水上機母艦の1つが「瑞穂」です。「瑞穂」は準同型艦の千歳型と同様の戦略目的により建造され、水上機母艦としての表の顔と特殊潜航艇母艦「甲標的」の母艦としての裏の顔を持つことを期待されていました。計画当初の速力性能では千歳型が20ノット「瑞穂」は22ノットであり、千歳型より優速であったことが後に禍根を残すことになります。採用機関にディーゼルのみを搭載することが決定したからです。

千歳型はタービンとディーゼルの併用により29ノットを発揮することができましたが、「瑞穂」では大出力ディーゼルが不調だったことにより計画速力の22ノットを発揮できず、最速でも17ノットが限界だったと言われています。しかし、計画当時のワシントン・ロンドン軍縮条約により大型カタパルトの搭載が出来なかった制約は、条約を脱退することにより解除されたため、 4基のカタパルトが搭載可能となり水上機母艦としての能力は格段に向上しました。

太平洋戦争突入時には機関修理を重ねた結果、22ノットの発揮が可能でしたが安定した性能ではありませんでした。この状態で「千歳」と隊を組み南洋方面の作戦支援に活躍。1942年に横須賀工廠にて機関の完全修理を実施し、安定した22ノット航行が可能となって瀬戸内海へ向け航行中、静岡県御前崎沖にて米潜水艦「ドラム」の雷撃により沈没しました。太平洋戦争における旧日本海軍の軍艦損失1号艦です。

(参考:キット説明書)

<キットについて>
ウォーターラインシリーズ(WL)の「瑞穂」は、1979年発売の千歳型水上機母艦「千歳」をベースとし、バリエーション展開されたキットで専用パーツを開発して2002年に発売されました。発売当時はシリーズの開発が停滞時期より活動時期へ移行していた頃で、シリーズ拡充に積極的なアオシマから発売されています。

キット開発にあたっては、既存キットの“千歳型”の準同型艦であることからパーツの大部分を「千歳」と共有している関係上、「瑞穂」特有の細かな形状は再現されていません。艦尾形状はベースの「千歳」が実艦の形状を再現しきれなかったため、このキットでも残念ながら中途半端な再現となっています。本艦の特徴である艦橋両舷の高角砲もキチンと再現されていますが、既存の「千歳」をベースとしている関係から装備位置が実艦と若干異なっています。

<作例について>
全くの素組みですが、少しだけ追加工作しています。
  • 船体側面に0.25o×0.5oプラ角棒にて、舷外消磁電路を再現しました。
船体や上部構造物は、我が造船所の重巡色である横須賀工廠グレーで塗装しました。リノリウム甲板はGSIのMr.カラー特色のリノリウム色で塗装、そのほかもすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

<建造について>
建造工程については、下記のアイコンをクリックしてください。↓

     
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