<実艦について>
- 砲艦とは大河川や近郊の港湾で行動する小型の軍艦で、旧日本海軍における砲艦は800t未満の二等砲艦(河川砲艦)と800t以上の一等砲艦の二種類があります。特に中国大陸の揚子江の権益を確保するために行動する河川砲艦は有名です。
勢多型砲艦は二等砲艦に属し、河川で行動するために喫水が極端に浅い特殊な艦でした。同型艦として4隻が製造され、建造は日本の造船所、播磨造船が「勢多」と「堅田」と三菱神戸「比良」と「保津」が建造し、分解輸送して現地で組み立てられたようです。
−堅田−
- 1922年4月29日、播磨造船所にて起工。
- 1923年10月20日、上海東華造船会社で竣工。
- 1945年4月2日、上海にて敵機の攻撃を受け、大破かく座します。
- 1945年5月3日、除籍。
−保津−
- 1921年8月15日、三菱神戸造船所にて起工。
- 1923年11月7日、揚子機器有限公司で竣工。
- 1944年11月26日、安慶にて敵機の攻撃を受け、大破かく座します。
- 1945年5月10日、除籍。
<キットについて>
- シリーズ初の砲艦キットとして、2011年に「勢多/比良」が発売され、バリエーションキットとして「堅田/保津」が2012年に発売されました。先行発売された「勢多/比良」は竣工当時の仕様としているようですが、パーツには性能改善工事後の日中戦争後の形状を現すものがあり、リサーチ不足により設定年代が曖昧となっています。また、後発キットの「堅田/保津」も同様にパーツ形状とキット設定年代に相違があり、日中戦争後の仕様なのですがパーツには竣工から日中戦争前の形状を現すものがあります。
- したがって、解決策として両キットを同時に購入し、パーツを差し替えすることによって「勢多/比良」は竣工から日中戦争前の仕様、「堅田/保津」は日中戦争後の仕様にすることが出来ます。小さな艦なのでパーツは細かいのですが、シリーズの基本方針である“組み立て易さ”が守られた設計となっています。最近流行りのキットに比べるとパーツ割りは簡素ですが、個人的にはこれで十分だと思います。
<作例について>
- 基本的には素組みですが、下記の追加工作をしています。キットの煙突は大改装前の長いものであるため、改装後の短いものを別キット「勢多/比良」より調達しています。
- キットの兵員室天蓋にある通風筒は大改装前のキセル型形状であるため、改装後のキノコ型形状のものを別キット「勢多/比良」より調達しています。
- 艦尾の便所と最上甲板の後部先端とはレールのようなもので繋がっていましたので、プラ細棒にて再現しました。
- 艦橋下部右舷側は大改装後に完全に密閉されていたようなので、プラ板にて加工して封鎖しました。また、左舷側はプラ棒にて補強材を再現しました。
- 最上甲板周りに防弾板をプラ棒にて再現しました。
- 勢多型砲艦は日中戦争よりに軍艦色に塗装されていたようなので、艦の大きさから判断して我が造船所の駆逐艦規定色である舞鶴工廠グレーを塗装しました。太平洋戦争末期にはカーキ色の塗装になったようです。また、上甲板と最上甲板はリノリウム敷きと判断してリノリウム色で塗装しました。また、兵員室天蓋の色は手持ち資料の実艦写真より、赤茶色と判断して赤茶色で塗装しています。塗料はすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。
<建造について>
- 建造工程については、下記のアイコンをクリックしてください。↓
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